トスカーナドライブ旅行記54

フィレンツェFirenze⑩


ヴェッキオ宮Palazzo Vecchio
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メディチ家が弟脈に移り、
フィレンツェがトスカーナ大公国になる前、
マンガ「チェーザレ 破壊の創造者」の時代に
フィレンツェ共和国の政庁舎として使われていた建物で、
フィレンツェの現役の市庁舎でもあります。
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入口にはミケランジェロのダビデ像(レプリカ)
メディチ家に恩義を受けながら
共和政を支持し、フィレンツェの自由を象徴する像を制作した
ミケランジェロはどんな気持ちだったんでしょうね。
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入ってすぐの中庭

市庁舎として使われているので、
見られるのは一部の部屋に限られます。

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ここは「五百人広間」
共和政時代の大会議場。
ここの壁画を手掛けたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
そしてレオナルドが描く、その反対側の壁は
なんと、ミケランジェロが壁画を担当
していたのです。

五百人広間は巨匠の競演となるはずだったのですが、
その後ミケランジェロは制作途中で別の仕事のためローマへ行ってしまい
そして、レオナルドは新しい手法を試して失敗、
描きかけの壁画を途中で投げ出してしまったのでした。
ミラノの「最後の晩餐」といい,レオナルドは先進的なことをした分
失敗も多いのでしょうか。

その後しばらく、2つの未完の壁画はそのまま残されていたようですが
メディチ弟脈の初代トスカーナ大公、コジモ1世の時代
五百人広間の改修が行われ、未完の壁画は失われてしまいます。

ところが、およそ500年の時を経て、レオナルドの失われた壁画が
現在の壁の下に実は残されている! という説
が浮上。
右側の壁に足場が組まれ、シートで覆われているのが分かるかな?
ここに、レオナルドの失われた壁画「アンギアーリの戦い」が隠れているそうです!

現在の壁にはヴァザーリ工房が描いた絵があるのですが
それに穴を開けて奥を調べたところ、
レオナルドの壁画の存在を示す物質が見つかったのだとか。
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調査のための足場と、調査中を示す看板
看板の絵が「アンギアーリの戦い」ですが
これは、壁画が失われる前に、
画家たちがレオナルドの絵を模倣したもの。
あっ、足場の隣に置かれている彫刻は
さりげなーく、ミケランジェロ作「勝利」

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壁も天井も百合の紋章で飾られた「百合の間」にあるのは
ドナテッロ作「ユディトとホロフェルネス」

ユディトは旧約聖書(外典)「ユディト記」に描かれたユダヤ人女性。
信仰心厚い未亡人ユディトが、
自分の住む町が敵に占領されかかったため
自らが美しく着飾って敵の陣営に乗り込み
敵の司令官ホロフェルネスを泥酔させ、
その寝首をかいて、町を救ったという話。


そのようなストーリーなので、このドナテッロの作品も
フィレンツェの共和政の象徴とされていますが
実はやっぱり、もとはと言えばメディチ家の注文で制作され
メディチ・リッカルディ宮の庭に置かれていたものなのだそうです。

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ヴァザーリが設計した「元素の間」
四元素、空気・水・火・土を表す絵が壁に施されています。

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「地図の間」には古地図がいっぱい
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GIAPAN、つまり日本もありますよ!


追記:
「五百人広間」でのレオナルドの失われた壁画「アンギアーリの戦い」の調査の顛末なのですが… usuriが訪れたわずか1ヶ月後に、なんと何も解明されないまま終了になっていました。なんでも、ヴァザーリの壁画に調査のためすでに6つの穴を開けていたのですが、更に穴を開けて調査しようとしたところ、文化省(文部科学省みたいな?)の許可が下りなかったそうです。調査が始まったときは、日本でも報道されていましたが、終わるときは全く話題にもなりませんでしたね…。結局「謎は謎のまま」という結末だったみたいです。


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